パワハラ撲滅!承認欲求を満たしてこその人望!リーダーよ、お聞きなされ!

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自分で言うのはちょっと恥ずかしいのですが、僕は人望は厚いほうだと自負しています。

僕には就職という経験がありませんので、「世間知らず感」を抱かれる方も多いかもしれませんが、俗にいう「リーダーシップ」体質です。

【参照】てむ兄の自己紹介が短編小説になりました!(本人の肉声動画あり)

選手時代は後輩たちに慕われていたと自負していますし、選手時代のアルバイト先でも常に人に囲まれていました(上の人間(社員たち)からはすこぶる扱いにくい野郎だったみたいですが…)。

自分でこんなことをいうのは恥ずかしいし、僕の美学にも反することなので、こんな話をするのはこれが最初で最後ですが、あまりにも人間の本質(本能)を理解できていない人が多いようですので、ここにしたためておきます(パワハラ撲滅の思いも込めて)。

人望を得るには、要は、人の承認欲求を満たしてあげればいいんですよ。

以下で事例を交えながら具体的にまとめていきます。

ご参考までに。

本能的に理解していたマズローの欲求5段階説

ビジネスを生業にしている今でこそ、マズローの欲求5段階説なんてものを知りましたが、そんなものを知る由もない選手時代の僕は、無意識に本能レベルで、人望を得ることができていました。

意図的に得ていたわけではないですよ。

僕はそんな計算高いクソ野郎ではありません(笑)

あくまで、無意識の本能レベルで…です。

 

第1段階:生理的欲求
生きていくために必要な、基本的・本能的な欲求を指します。

「食欲」「排泄欲」「睡眠欲」などが当てはまり、これらが満たされなければ生命の維持が不可能となります。
一般的な動物がこのレベルを超えることはほとんどありませんが、人間がこの欲求階層にとどまる状況は一般的ではありません。
  

第2段階:安全欲求
安心・安全な暮らしへの欲求を指します。

病気や不慮の事故などに対するセーフティ・ネットも、これを満たす要因となります。
一般的に、幼児にはこの欲求が顕著に垣間見えますが、大人になると反応を抑制することを覚え、自然と次の段階へ欲求が昇華していきます。
  

第3段階:社会的欲求
友人や家庭、会社から受け入れられたい欲求を指します。

集団への帰属や愛情を求める欲求であり、「愛情と所属の欲求」あるいは「帰属の欲求」とも表現されます。
この欲求が満たされない状態が続くと孤独感や社会的不安を感じやすくなり、時には鬱状態に陥るケースもあります。
  

第4段階:承認欲求(尊重欲求)
他者から尊敬されたい、認められたいと願う欲求を指します。

名声や地位を求める「出世欲」もこの欲求の1つに当てはまり、外的部分を満たしたい第3段階までとは異なり、内的な心を満たしたい欲求へと変わります。
また、こちらは第3段階における「帰属」の欲求が前提となっており、他人からの賞賛を求める欲求はその後の自然な行為とみなすことができます。
なお、承認欲求における尊重には「低いレベルの尊重欲求」と「高いレベルの尊重欲求」があります。
低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、名声、注目などを得ることによって満たされます。
高いレベルの尊重欲求は、自己尊重の意識付け、技術や能力の習得、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価より自分自身の評価を重視します。
この第4段階の欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じます。
  

第5段階:自己実現欲求
自分の世界観・人生観に基づいて、「あるべき自分」になりたいと願う欲求を指します。

潜在的な自分の可能性の探求、自己啓発行動、創造性の発揮などを含み、自己実現の欲求に突き動かされている状態となります。
また、第5段階だけはこれまでの欲求とは質的に異なっているとされています。

 

マズローは最初の4欲求を「欠乏欲求」、最後の1つを「存在欲求」とまとめており、自己実現を達成できた人は数少ないとされています。

 

常識のレールを脱線して生きる人間の葛藤

僕がここでお伝えしたいことは、難しい話でもなんでもなく、人間は誰しも…

「自分の主張を聞いてほしい」
「自分を認めてほしい」
「自分を肯定してほしい」
「自分に共感してほしい」

って欲求を抱いているってことに気付けていれば事足りる話です。

 

上記の欲求は誰しも抱いています。

僕もあなたも。

…ってことを、当時の僕は本能レベルで認識していました。

僕は、人一倍、承認欲求が強かったからなのかもしれません。

如何せん、常識のレールを大きく脱線して生きていましたから、「俺は間違った生き方なんかしていない」ってことを周囲に分かってほしかったってのもあるのかもしれません。

尖った部分があったのは否めませんが、「自分らしく」生きてこその人生だという強い思いはずっと胸に抱いていましたから。

その一方で、同世代の周囲の人間に対する劣等感もあったのかもしれません。

悲しいかな、結果が全ての世界で生きている以上、結果を出せなければ、それは「間違った生き方」だと言われても仕方のないことですから。

だから、僕は何とか自分を認めてほしかった…。

 

時間の切り売り vs 価値の提供

僕が選手時代にアルバイトをしていた会社は、(恐らく今や誰もが知っているであろう)大手飲食店でした。

時給も良く、24時間営業の飲食店でしたので、シフトの融通も利きやすく、生活費を稼ぐにはもってこいの条件でしたから、そこに集う若者たちの多くは何かしらの目標をもつような人間がほとんどでした。

恐らく24時間営業の店舗ってどこも同じようなものだと思うのですが…終電まではスタッフの大半は学生が占めていて、22時あたりを境に、フリーターが勤務に入り始め、終電後~翌朝まではスタッフの大半がほぼフリーター…みたいな。

どこもそんなシフトだと思うんです。

僕が勤めていたその店舗も例外ではなく、深夜勤務のフリーターたちの大半は、何かしら夢や目標を抱いていて、「生活のため」にアルバイトを行っているような人間ばかりでした。

なかなか濃いキャラクターの奴らが集まっていて、違う分野で生きる人間たちと、お互いに刺激し刺激され交流を深められたあの時間は、すごく有意義だったと思っています。

僕以外にもプロボクサーがいたし、他にも、総合格闘家、役者、お笑い芸人、映画監督、ミュージシャン、ダンサー、医学部学生…本当もう様々で。

 

そんな中、僕は一応責任者的な立場(バイトリーダー的な)を任せれていました。

「責任者」とかいうと、世間一般の認識でいくと、なかなかに煙たがられるような存在をイメージされるかと思いますが、僕の場合そうではありません(と信じています…)。

あれから数年経った今でも、近況を報告してくれたり、集まりに誘われたり…といった事実からも、そう自負しています(きっとそうだと信じてる…)。

 

みんなにとって、僕が責任者を担当していた深夜の時間帯は、それなりに楽しく価値ある空間だったはずです。

僕はやることやってりゃ何も言わない人間でしたから。

「やることやってりゃ遊んでていいよ」ってスタンスでしたから。

お客さんにしっかりと価値提供して、決められた仕事をきっちり時間内に終わらせて、他のスタッフに迷惑かけなきゃ何やったっていいよってスタンス。

これやると、みんなめっちゃ頑張るんです。

やるべき仕事を一気に片付けるし、少しでも効率的な作業をそれぞれの頭で考えて動いてくれるし、普通に時間の切り売りして働いてもらうより、断然有意義な働き方だと僕は感じています。

スタッフの教育方法としては、圧倒的に正しかったと、今でも思っています。

ですから、みんなからはそれなりに慕われていた実感も実際にあります。

 

たまに、店長とか他の社員が店舗チェックにやって来るんですが、そんな時ってみんな窮屈そうに仕事していました。

普段と全く勝手が違うから。

本当はもっと効率的な働き方できるのに、あえて仕事を残して、時間いっぱい「一生懸命働いているふり」をしているんです、みんな。

あの情景は滑稽でした(笑)

「あ~今日はハズレ日だよ~」

そんなことをコッソリ囁いたりして…。

 

当時のこのバイト先で、上司にあたる社員の多く(というかほぼ全員)は、とにかく上からの自分への評価ばかりを気にするような人間でした。

「あれやっちゃダメ!これやっちゃダメ!」
「いや、これが決まりだからこうやって!」

ハズレ日は、そんな窮屈な環境下での勤務…。

 

僕は内心思っていました。

もっとみんなが納得できる理由を伝えてくれればいいのに…無能なイエスマンはこれだからもう…。

そりゃあんたら…人望なんて得られるわけがないよ(笑)

人間は自分が納得できる人間にしかついていかないんだから。

 

ゆえに、僕は、多くの社員たちから煙たがられる存在でした。

バイトスタッフが自分(社員)の言うことに聞く耳をもたず、みんな僕についてくるから。

どう考えても僕のやり方のほうが、効率的だし、働きやすいし、価値提供できてるし…。

 

※以下の記事でも紹介している会社です ↓
【参照】沖縄に雪が降ったのです!

 

僕は無意識に人の承認欲求を満たしていただけ

ただ、それ以上に、僕がみんなからの人望を得ることができていた大きな理由は、実はもう1つ他にあります。

特に意識的に行っていたというわけではないのですが、僕が本能的にやっていたことがあるんです。

それが上述した「承認欲求を満たす」ことです。

理屈は簡単。

人間は承認欲求を満たしてくれる人に好意を抱くからです。

僕がされて嬉しいことを周囲の人間にも行っていたというだけの話です。

 

人間って認められたい生き物です。

自分を承認してもらいたい生き物です。

自分を肯定してもらいたい生き物です。

自分の主張に共感してもらいたい生き物です。

僕は、それを誰かに学んで知ったわけではありません。

僕自身がそうだから、みんなそうだろうな…と勝手に感じていただけの話です。

 

当時、僕の周囲にはたまたま、特に承認欲求を満たされたい人間が集まっていました。

常識のレールを大きく脱線して生きる人間は、やはり自分を認めてほしいと思っています。

そういう意味では環境に恵まれていたのかもしれません。

何らかの強い主張のある人間たちに囲まれていましたから。

みんな自分の主張を聞いてほしいんです。

何らかの目標がある人間って強い主張をして生きています。

僕は、それが、各々の自分の生き様に表現されていると感じています。

 

例えば、僕の場合であれば、リング上こそが自己表現の場所だったし、僕の生き様はそこに如実に表現されていたし、自分の主張の全てがそこにありました。

僕はそんな自分を見てほしかった。

感じてほしかった。

「俺はここに生きている!」

その表現の場がリング上でした。

 

そして、そんな僕をいつも応援してくれていた人たちがいます。

僕にとって、その人たちは、自分を認めてくれている人たち以外の何者でもありません。

自分の生き様や主張を認めてもらえていると実感させてくれる人たちです。

正に、承認欲求を満たしてくれる人たち。

だから、僕は選手時代に会場まで応援に駆けつけてくれた人たちのことを絶対に生涯忘れることはありません。

本当にありがたい存在だったし、どんだけ感謝しても足りないくらい。

この先、生涯にわたって感謝を続けながら生きていくことでしょう。

 

…と、僕は身をもって実感できていたからこそ、承認欲求が満たされることの威力を人一倍知っています。

主張を聞いて共感してもらえることのありがたさを人一倍知っています。

 

知っているからこそ、僕は、一緒に働いていた職場のスタッフの自己表現の場所に、いつも足を運んでいました。

試合会場、ライブハウス、劇場、映画館…色んなスタッフの自己表現の場所へと足を運びました。

 

絶対に喜んでくれることを知っていたからです。

何より、頑張っているみんなの喜ぶ顔が見たかったし、それ以上に、僕自身が本気で頑張るみんなを応援したかったから。

結果、勝手に人望はついてきました。

 

人間の本質を理解すれば人望は勝手についてきます

結局、どれだけ文明が発達しても、人間の繋がりの根源にあるものって何も変わらないんだと思います。

ぜひ周囲の人間の主張を聞いてあげてください。

そうすれば、人望を集めることに躍起になる必要なんてありません。

人間の繋がりの根源を理解して、人間らしい付き合いをしていれば、人望なんて勝手に後からついてきます。

人望は集めようと思って集まるものなんかではなく、人間の繋がりを大事に生きていれば、自ずと出来上がっていくものだということを、人の上に立つ多くの人たちに知ってほしいです。

あなたには、地位や権力だけでデカい面して生きるような人間にだけはなってほしくないと思っています。

まずは、周囲の人間の承認欲求を満たすために尽力してみてください。

周囲のあなたに対する眼差しはきっと変わるはずです。

 

なんだか、今回は僕の自慢話に聞こえたかもしれませんが、そう思われるのは僕の美学に反することですので、最後に、再度、そうではないことを強調させていただきます。

人望は、地位や権力で得られるものではないってことをお伝えしたかっただけです。

この世から「嫌な上司」がいなくなりますように!

 

追伸

実は…僕の妻が先日まで職場でパワハラを受けていまして…。

事態はすべて、法的措置をもって解決したのでひと安心ですが、自分の大切な存在の一瞬たりとも放置してはおけない状況に直面して、パワハラ撲滅の思いも込めて、今回記事をしたためさせていただきました。

中にはトゲのある発言に感じられる箇所があったかもしれませんが、どうかご了承くださいませ。

 

著者プロフィール

沖縄を溺愛する元プロアスリート。

沖縄旅行でグルメ・観光・海水浴!10月終わりも遊泳期間の常夏を満喫♪

沖縄本島リゾート婚!結婚指輪&オープニングムービー制作の満足度は?


社会のしがらみ(人間関係)や、世の中の様々な束縛(お金・時間・場所)から解放されて生きる『虹色ライフ』を広めるべく活動中。


幼い頃から、人と同じことをするのが苦手で、「自分の人生は自分でデザインする」 という信念を貫いて生きる。

超未熟児で誕生し、年間の半分以上、保育園や学校を休むほど病弱で虚弱体質な少年時代を送る。

「前に習え」は、常に腰に手を当てて先頭に立つようなチビだった。

野球少年ながらも、気持ちに肉体がついていかない息子を見かねた両親のススメで、少林寺拳法を習い始め、自身の秘めたる才能に気付く。

当時の人生の目標は、高校生になって甲子園に出場すること。

…。

高校受験の時期。

周囲の大反対を押し切って、自ら隣県の高校に電話をかけ、願書を郵送で自宅に送ってもらい、甲子園常連校へ進学。

親元を離れ、寮生活となった高校時代は、まさに野球漬けの日々。

しかしながら、体育会系の理不尽な上下関係に苦しんだ挙句、2年生への進級を機に、理不尽な伝統を受け継ぐ先輩にはなりたくない一心で、夢を諦め退部。

生き甲斐のない毎日を送っていた、大学1年生の時、日本ボクシング界のカリスマ、辰吉丈一郎さんの生き様を目の当たりにし、ボクシングに挑戦することを決意。

ボクシングの世界観にハマり、程なく、本格的にプロを目指す。

嘘の通用しない世界で、文字通り裸一貫の自分で勝負したいとの思い、そして辰吉丈一郎という生き様に魅了されての決意だった。

就職活動をする周囲をよそに、信念を貫き通し、大学卒業後はプロボクサーとして約10年間の選手生活を送る。

引退後も、雇われて生きるという選択肢は自身になく、何かしらの事業をやることを考える。

そんな折、ネットビジネスの存在を知る。

知れば知るほど、このビジネスに大いなる可能性を感じ、多くの失敗を重ねながらも、徐々に結果を残せるようになっていく。

現在の信念は、この世に生きた証を残すこと。

世の中に多くの価値を提供することで、たくさんの「ありがとう」に囲まれて生きることこそが、唯一、自身の存在を証明できると方法だと信じている。



そんな僕の提唱する「虹色ライフ」の詳細は…


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