起業家しか知らないビジネスの本当の価値
時間と労働力を売って賃金を得るという世間一般的な労働者の価値観と、価値を提供して喜びの対価として報酬をいただくという起業家(経営者)の価値観。
この相対する2つの価値観について、僕なりの見解をまとめてみました。
価値を提供して喜びの対価として報酬を得るという価値観
僕の提唱する“虹色ライフ”は、当然ながら、後者の価値観が大きな基盤になっているのは、今更言うまでもないことでしょう。
インターネットの発達により、現代は個人がビジネスで起業して、大きなお金を稼ぎ、収入も時間も場所も、自由に生きていくことが可能になりました。
しかし、こういった価値観を理解できない人も世の中には存在しています。
むしろ大多数が前者の価値観なわけです。
世の中の大多数は労働者ですから当然と言えば当然なのかもしれません。
「そんなやつは許せない!」
そう言ってプリプリなさいます。
一方、後者の価値観を持つマイノリティな僕ら起業家は、何ひとつ迷惑をかけていない、面識すらない赤の他人から、怒りをかうわけです。
怒りの理由は、仕組化や自動化の構築に対するものと、大金を稼ぐことが“悪”だという固定観念によるものと…
大きく分けると2つからきているようです。
“楽をして稼ぐ”という仕組化や自動化は果たしていけないことなのか?
お金に対する勉強不足から、“楽をして稼ぐ”という仕組化や自動化を受け入れることができず、お金を“汚いもの”だとする一方的な思い込みが、怒りの原因なのでしょう。
朝も早くから出勤し、夜遅くに帰宅するという、典型的な日本人サラリーマンの日常を当前だとする価値観が大前提にあるからこそ、怒りが沸々と込み上げてくるんだと思います。
つまり、お金とは、汗水流して働いた対価として得るものだといった認識なわけです。
自分はこんなに頑張って働いているのに…他方では、楽をしている人間が大金を得ている…
そんな事実に対する嫉妬心が大きいのかもしれません。
「ズルい!」と。
しかし僕に言わせれば、その認識は大きな勘違いに過ぎません。
何も…カラダを張って汗水垂らして働いたからお金を得られるわけではないのですから。
ビジネスというのは価値と価値の交換なわけです。
会社に対し利益を与えたから、その対価として、給料という形でお金を得られるのです。
汗水垂らして労働したこと自体は、利益を得るという目的を果たすための単なる手段に過ぎず、お金を得るに値する行為でも何でもありません。
バケツを持って川へ出向き、ひたすら…汗水垂らして…
水を汲んで川へ戻し…
また水を汲んでは川へ戻し…
そんなことをずっと繰り返したところで、お金を得る権利なんて発生しませんよね?
そんな会社が存在しますか?
会社に対し、何の利益ももたらしていないんですから、当然ながら、給料がどこからともなく勝手に降って湧いて、支払われる…そんなわけがありません。
仮に…川に大きな桃が流れてくることはあっても、給料が流れてくるなんてことはありません(笑)
つまり、お金とは「労働」の対価ではなく、世の中に与えた(もたらした)「価値」の対価なんです。
あなたが毎月手にしているお給料は、あなたが会社に奉仕した時間と労働力に対する査定結果なわけです。
つまり、あなたの施した奉仕価値を、会社側が査定した結果が、あなたのお給料分だというわけです。
たとえ、残業を何時間もして、ひたすらに汗水垂らして働きまくったとしても、会社に対し何の利益ももたらさなかった場合、会社側はあなたのことを必要のない人材だとしてクビを宣告します。
会社に利益が入ってこないわけですから、当然ながら給料を支払うことも不可能なわけです。
一方、あなたが受け取るお金が、世の中に与えた「価値」の対価だという認識を持てば、あらゆる現実を理解できるはずです。
自動販売機、24時間コインパーキング、アパートやマンション経営、株、ネットショップ…
汗水垂らして働いてお金を得ていますか?
これらは世の中の人々に与えた「価値」の対価であり、このおかげで喜ぶ人や助かる人が本当にたくさんいます。
それだけの大きなお金を受け取るに値するだけの価値を提供しているということです。
つまり、それだけ大きな喜びや感動を世の中に提供しているということです。
いくら頑張って働いたところで、労働時間や労働力には限りがあります。
ある一定額以上にお給料がアップしていくわけはないのです。
高給取りの会社員は…何も…労働時間や労働力を、他人よりも奉仕している…というわけではなく、単に他人より大きな価値を会社にもたらしているというだけの話です。
確かに…
年功序列制度がまだまだ根強く残っている企業も存在しますが、そんな非合理な会社は、今後淘汰されていくでしょう。
インターネット起業や投資は、時間にも体力にも制限がなく、レバレッジをかけられるので、仕組みを構築したり、学びを得てコツをマスターしたりすれば、世の中に大きな大きな価値をもたらすことができます。
つまり、最少の労力で最大の利益を得ることが可能なわけです。
時間と労働力を売って賃金を得るという価値観と、価値を提供して喜びの対価として報酬をいただくという価値観…
僕が胸を張って後者をオススメするのは、“楽をして稼ぐ”という仕組化や自動化の結果、前者に比べて、圧倒的に、世の中の多くの人々に対し、喜びや感動を与えることができるから…というわけです。
水を汲んだり洗濯したりするために川へ出掛けたり、薪を割って火を起こしたり、馬に乗って遠くへ出かけたり…
そんなことしませんよね?
水道がありますし、洗濯機もあれば、ルンバのような掃除機もあれば、エアコン、電子レンジ、車…今の世の中には本当に便利なものがたくさん存在します。
自動化を否定するということは、便利になった今の世の中を否定するということです。
人間は常に便利さを求めて生きてきました。
その結果あるのが今の世の中です。
同じようにインターネットの登場で、ビジネスも便利になりました。
僕のようなイチ個人が、世の中にたくさんの価値や影響をもたらすことができるようになったわけです。
「仕組化や自動化は果たしていけないことなのか?」
これに対する僕の答えは、断じてNOです!
そのおかげで、以前に比べて圧倒的に多くの価値を世の中に提供できるようになったからです。
僕はこれからもたくさんの「ありがとう」に囲まれて生きていきたいと思っています。
大金を稼ぐことは“悪”なのか?
「お金持ち=悪人」
これは単に、漫画本やテレビや映画にデフォルメされた金持ち像に過ぎないでしょう。
個人的に、お金持ちで性格が悪くて非人道的でケチで…そんなキャラクターを、漫画本、テレビ、映画ではよく見かけるような印象を持っています。
しかし、あなたの周りを見渡して考えてみて下さい。
もちろん、イヤなお金持ちも一定数存在するでしょうが、同じように、イヤな貧乏人だってそれなりに存在しているはずです。
裏を返せば、当然ながら、善人で優しいお金持ちも貧乏人も存在するわけです。
中には悪いことをして大金を得ている人も存在するでしょうし、運よくギャンブル等でお金持ちになった人も存在するでしょう。
しかし、ここではそのような例外は除いて、原理原則的なお話をしたいと思います。
結論から言うと…
僕は、世の中に提供できる価値を持つ人間は、積極的にどんどん大金を稼ぐ必要があると思っています。
というか、稼いでもらわないと困ります。
そんな人達は、どんどん儲けなければいけないんです。
むしろ義務づけてもいいような気さえします。
だって、そのおかげで、世の中が豊かになっていくわけですからね。
…では、説明しましょう。
ビジネスというものは、悩みがあるところに成立します。
喉が渇いた、風邪をひいた、綺麗になりたい、痩せたい、お腹がすいた…etc.
全て悩みです。
それらを解決するためにビジネスがあります。
水、水道、薬、病院、化粧品、美容室、体育館、サプリメント、ラーメン…このような悩みを解決する商品全てに、多くのニーズが存在します。
お金を得るということは、世の中にそれだけの価値を提供したということです。
つまり、世の中の悩みをそれだけ解決したということです。
あなたがビジネスを興して、儲ければ儲けるほど、世の中の悩みは解決されていくわけです。
さらに言うと、お金のやり取りをすればするほど、世の中の富というモノは、増えていくのです。
つまり、お金を儲ければ儲けるほど世の中は豊かに潤っていくわけです。
…これも分かりやすい例を用いて説明しましょう。
仮に世の中にA君とB君の2人だけしか存在せず、世の中のお金もB君が持つ100万円だけしかなかったとします。(設定にかなり無理がありますが…)
そして、A君がB君の要望に応えて家を建ててあげたとしましょう。
B君はその家を100万円で購入したとします。
当然その100万円はA君の手に渡ったわけです。
この時点で、二人の間で富は200万円に増えていることにお気付きでしょうか?
A君は何もないところからB君に家を建てて(価値の提供)、100万円を手に入れました。
一方、B君は100万円の現金を失いはしましたが、100万円相当の家を手に入れました。
お分かりでしょうか?
元々二人の間にはB君の持つ100万円の現金が存在しただけでしたが、お金がB君からA君に渡ったことによって、二人の間の富は200万円(100万円の現金+100万円相当の家)に増えたわけです。
今度は、逆にB君がA君に100万円で家を建ててあげたとします(価値の提供)。
同じように、A君からB君へ100万円が渡り、A君は100万円の現金を失いはしましたが、100万円相当の家を手に入れました。
お気付きですか?
この時点で、二人の間で富は300万円に増えています(100万円の現金+100万円相当のA君の家+100万円相当のB君の家)。
つまりこのように、世の中で経済活動が行われれば行われるほど、世の中の富というモノは、増えていくわけです。
現在の中国に見られる経済成長の顕著な伸びは、このA君とB君のやり取りを、国全体の10億人規模で行った賜物なのです。
逆に日本が経済的に衰退している理由は、お金に対する罪悪感から(?)、お金を儲けようとしなくなったからではないでしょうか?
それでもまだ、本当にお金は“悪”の根源だと思いますか?
お金を稼いでいるということは、相当の税金も納めているということです。
そう考えると、お金持ちは“悪人”なんかではなく、むしろ世の中に必要な存在だと言えませんか?
結論…。
どんどん仕組化や自動化を構築し、楽に利益を上げていくことで、世の中はどんどん豊かになり、幸せな人々が増えるわけです。
お金を“悪”の根源扱いして、お金持ちを罵倒する(経済活動を衰退させようとする)ことは、自分自身ばかりか、引いては、自分の大切な存在までをも不幸にしてしまう可能性があるということを肝に銘じておくべきだと思います。