言うことや考え方がコロコロ変わる人間は信用できないのか?

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あなたの周りには自分の意見や考えがコロコロ変わる人がいますか?

もしいるのであれば、あなたはその人のことをどう思っていますか?

やっぱり信用が薄いですか?

それとも革新的で新鮮に映りますか?

まあ、その人の人格やタイプや変遷の程度にもよるんでしょうけどね。

今回は、昨夜湯船に浸かりながらふと考えてみた、とりとめのないそんな事を、自分の意見を整理する意味で文字に起こしてみました。

先に僕なりの結論から述べると「自分らしい一本のきっちりとした芯を持っており、その大元の実現に向けて新たな価値観・感性に触れることで、意見や考えが変遷していくのは、大いなる成長の証である」です。

意見や考えがコロコロ変わるような人の印象は?

まあ大抵の人は、意見や考えがコロコロ変わるような人には、良い印象を持たないんじゃないかと思うんですね。

ましてや、それが会社の上司であったり、重要な取引先の相手だったりすると、間違いなく閉口することでしょう。

「なんだよあいつめんどくせーな」

って陰でめちゃ愚痴ったりしてね(笑)

ま、例に漏れず、僕も苦手です。

 

あるいは、自分で考え方がコロコロ変わることを自覚なさっておられるような方もいらしゃるでしょう。

で、もしかしたらそんな自分を顧みて自己嫌悪を抱かれてしまわれたりとか…。

 

「もういいや、あきらめよう…」

「いや、もう1回だけ頑張ってみよう!」

 

虹色ライフという個人が輝ける生き方を提唱している僕の周りには、そんな環境に身を置かれて、人生にお悩みの方が多くお集まりくださいます。
(※ “虹色ライフ” の詳細は ⇒ コチラ

同じ1日の中でさえ、コロコロと考えが変わっていってしまい、自分の本心がどこにあるのか自分でもわからず、生きているだけで疲れてしまわれたり…と。

特にポジティブな気持ちとネガティブな気持ちが時間ごとに入れ替わるタイプの人は確かにいらっしゃいます。

ひどい場合は、躁鬱という一種の病の部類にカテゴライズされる方もいらっしゃるでしょう。

僕は医者ではないし、上記で挙げた虹色ライフこそが、個人が真に幸せになる最良の手段だと信じて活動していますので、勝手なことは言えませんが…

もし、感情の波をコントロールできないような場合は、一度精神科に相談されるのもありなのかなと。

あるいは、僕のように、運動することである程度の悩みであれば解消できるような単純な人間は、汗を流すことも有効な気がします。
(あくまで素人の考えでしかありませんが)

 

だったら…考えがコロコロ変わることは悪いことなの?

…と、ここまでは考えがコロコロ変わることが「悪いことである」ことを前提にしてお話ししてきました。

 

が!

ちょっと待てよと。

意見や考えがコロコロ変わる人間は、それだけ成長意欲の強い人間だという証拠なのではないだろうか…。

そんなことを思ったわけです。

………

……

いや文字にまとめながら、ホントしょうもないこと考えてるな~オレ…風呂で何やってんだよ(笑)

 

…話しを戻します。

 

人間って出会いの数だけ色んな価値観に触れますよね。

で、そんなことを繰り返していると、

「あ、そんな考え方があるんだ!」

と、新鮮に感じる瞬間って、誰にでもあると思うんです。

そうやって徐々に自分の価値観も変わっていったりする。

特に相手が、自分の尊敬する人物だったりすると尚更に。

僕は、どちらかと言うと自己成長欲が強い人間で、知らないことをどんどん吸収したい、色んな価値観に触れたい、色んな感性を与えて欲しい…

そんなヤツなんで、ここ数年だけでも振り返ってみると、自分の価値観が結構変わってきたことに気付かされます。

あ、オレってコロコロ考えが変わるヤツなんだ(今気付いたwww)。

 

ただですね、僕は思うんです。

自分を正当化するわけじゃないんですが、自分の中に一本芯の通ったモノがあって、そのための最適解を得るためなら、考え方や価値観はどんどん変わってもいいんじゃないかってね。

特に変化の激しいこの時代、柔軟に物事に対応していかなければ置いていかれるような場合もあるでしょう。

いつまでも保守的な価値観でいると変化に対応できなかったり成長の機会を逃してしまったりと。

革新的な価値観に触れることで、ひと周りもふた周りも成長できるような事象だってあるでしょう。

 

坂本龍馬然り(歴史に疎いけどwww)。

武士の生まれで剣の達人である一方で、あの人、成長の過程でめちゃくちゃ思想が変化しましたよね、確か?

「日本を良くしたい」

といった大きな芯があってこその諸々の偉業、功績(疎いんで…w)。

 

それでも自分の意見が何にもないよりは100倍偉いと思うんです。

 

龍馬こそ、時代の流れを視野に入れ、かつ、自身の正義に正直に言動した典型的な人物だと思うんです。

 

もちろん、自身の発言に責任をもつことは大事ですが…

確かに、自身の発言に責任を持つことは大切だということは重々承知です。

しかし、根底にある考え方にきっちりとスジが通っているのであれば、常に革新的な意見を取り入れていくことは、僕は決して悪いことではないと思っています。

 

例えばデートをしていて

「なに食べる?」
「なんでもいいよ。君が決めて!」

ってパターンと

「なに食べる?」
「今日はパスタ食べに行こう」

…数分後…

「いや中華にしようか」

ってパターン、どっちがいいですか?

………

……

アレ?例えが超下手だな…。

これだとどっちもイヤですよね(笑)

 

じゃあ、例えば僕の場合だと、上述のように、虹色ライフという生き方を提唱していますが、僕は「自分のやりたいことに忠実な生き方」の素晴らしさを広めたいんですね。
(※ “虹色ライフ” の詳細は ⇒ コチラ

という、一本の芯があって、じゃあそのため手段としてネットビジネスをオススメしているわけですが、もしかしたら、もっといい方法があればこの “手段” の部分はもしかしたらこの先変わるときが来るかもしれない。

あるいは、僕はこの命果てる時に笑っていたい、たくさんのありがとうに囲まれてこの世を去りたい…そんな哲学を持っているのですが、そんな一つの芯があって、そこに向けた価値観は都度変遷していく可能性だってあるわけです(なんのこっちゃw)。

 

例えば、現代はインフルエンサーという存在が大きくクローズアップされやすい時代です。

で、そのインフルエンサーが一度言った発言を撤回し、違うことを言った場合、そのインフルエンサーを責めたてたり、ひどい場合だと詐欺師扱いしてみたり。

発言の撤回にしっかりとした根拠があってもです。

インフルエンサーだって成長しているわけですから、そりゃ考え方が変わることだってあるわけです。

第一、そのインフルエンサーの言うことを勝手に信用したのは自分自身だという事実を、完全に棚に上げてしまっていることに気付いていません。

つまり、完全に他者依存マインドの持ち主だということです。

 

「上手くいったら自分のおかげ、失敗したら他人のせい」

 

これでは、その人にこの先、一切成長はないでしょう。

命果てるまでそうやって生きていく姿が手に取るようにわかります。

 

情報も考え方も価値観も、時代とともに常にアップデートしていく必要があることは、考えるまでもなくわかりきっていることですから、人によっては、その辺、いま一度考え直すべきなのかもしれませんね。

 

結局僕の結論は…

結論!

自分の意見や考えが無いのが一番まずい。

つまり、自分の意見や考えが相手によって、あるいはその時の気分によってコロコロ変わる人は面倒くさがられると(笑)

加えて、そのような人間(よくありがちな会社の上司像)は、責められて然るべきである。

 

しかしそうではなく、自分らしい一本のきっちりとした芯を持っており、その大元の実現に向けて新たな価値観・感性に触れることで、意見や考えが変遷していくのは、大いなる成長の証である。

 

…ということで宜しいでしょうか?(ダメですか?www)

著者プロフィール

沖縄を溺愛する元プロアスリート。

沖縄旅行でグルメ・観光・海水浴!10月終わりも遊泳期間の常夏を満喫♪

沖縄本島リゾート婚!結婚指輪&オープニングムービー制作の満足度は?


社会のしがらみ(人間関係)や、世の中の様々な束縛(お金・時間・場所)から解放されて生きる『虹色ライフ』を広めるべく活動中。


幼い頃から、人と同じことをするのが苦手で、「自分の人生は自分でデザインする」 という信念を貫いて生きる。

超未熟児で誕生し、年間の半分以上、保育園や学校を休むほど病弱で虚弱体質な少年時代を送る。

「前に習え」は、常に腰に手を当てて先頭に立つようなチビだった。

野球少年ながらも、気持ちに肉体がついていかない息子を見かねた両親のススメで、少林寺拳法を習い始め、自身の秘めたる才能に気付く。

当時の人生の目標は、高校生になって甲子園に出場すること。

…。

高校受験の時期。

周囲の大反対を押し切って、自ら隣県の高校に電話をかけ、願書を郵送で自宅に送ってもらい、甲子園常連校へ進学。

親元を離れ、寮生活となった高校時代は、まさに野球漬けの日々。

しかしながら、体育会系の理不尽な上下関係に苦しんだ挙句、2年生への進級を機に、理不尽な伝統を受け継ぐ先輩にはなりたくない一心で、夢を諦め退部。

生き甲斐のない毎日を送っていた、大学1年生の時、日本ボクシング界のカリスマ、辰吉丈一郎さんの生き様を目の当たりにし、ボクシングに挑戦することを決意。

ボクシングの世界観にハマり、程なく、本格的にプロを目指す。

嘘の通用しない世界で、文字通り裸一貫の自分で勝負したいとの思い、そして辰吉丈一郎という生き様に魅了されての決意だった。

就職活動をする周囲をよそに、信念を貫き通し、大学卒業後はプロボクサーとして約10年間の選手生活を送る。

引退後も、雇われて生きるという選択肢は自身になく、何かしらの事業をやることを考える。

そんな折、ネットビジネスの存在を知る。

知れば知るほど、このビジネスに大いなる可能性を感じ、多くの失敗を重ねながらも、徐々に結果を残せるようになっていく。

現在の信念は、この世に生きた証を残すこと。

世の中に多くの価値を提供することで、たくさんの「ありがとう」に囲まれて生きることこそが、唯一、自身の存在を証明できると方法だと信じている。



そんな僕の提唱する「虹色ライフ」の詳細は…


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