沖縄に雪が降ったのです!

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自分でビジネスを興せるような人は、生まれつきの天才で、別次元の存在だと思っていました。

僕にはズバ抜けた才能、頭脳、資金、人脈なんてなく…人より圧倒的に劣っていました。

しかし!

インターネットの出現が、誰にも雇われることなく、自力で生きることを可能にしたんです。

僕が、自分でビジネスをやるなんて沖縄に雪が降るくらいあり得ない話だったのです。

 

 

欲しいのは人生をデザインできる自由。ギラギラしたステータスなんかいらない!

 

自己紹介でもサラッと言いましたが、幼いときから、とにかく人や環境に束縛されることに、人一倍嫌悪感を示す人間だった僕は、子供の頃から一貫して、自ら自分の人生をデザインしてきました。

いわゆる“一般社会の常識”とされる生き方に、常に疑問を感じていたのです。

親から金銭面での協力はありましたが、全国の高校を調べあげ、自ら進学する高校を決めましたし…

同世代の人たちが就職して社会適合者として生きていく中、プロアスリートの道を選択し青春の全てを捧げましたし…

雇われて生きることを拒み、収入、時間、場所の自由を求め、起業することで精神的に豊かになりましたし…

一度限りの人生に、悔いを残さないことを最優先に生きてきました。

 

特に、今の僕があるのは、プロアスリート引退後の人生設計に悩んでいたときに、運よくネットビジネスのことを知ったからです。

様々な生き方を模索しようと率先して行動したからこそ、運を味方にできたのだと自負しています。

その世界は当時の僕には、もの凄く輝いて見えたのを鮮明に覚えています。

よく様々なふれこみ方で、ネットビジネスの素晴らしさを煽っているのを目にしますが、僕がネットビジネスに惹かれたのは

「自分で自分の人生をデザイン可能であること」

この1点だけです。

もちろん、組織化して、大きな利益を得ることも可能でしょう。

顔出しガンガンして、自己ブランディングをガシガシ高め、ネオ●ルズ族に代表されるような、妙に羽振りの良い生活も夢ではありません。

超VIPな高層マンションに住み、高級外車を乗り回し、夜な夜な街に繰り出し、若手起業家達と美女を侍らせてシャンパンタワーを前に乾杯…。

 

champagne tower

 

人によってはそんなステータスも魅力的に映るかもしれません。

だけど、毎日毎日お金を追い続けて

「次回のプロモーションには 5 0 0 0 万円くらいの広告費をかける予定だ」

「どこどこの株が買い時みたいだよ」

「来週億単位の商談を成功させたいな」

「事業拡大で新しく優秀な社員を雇わなきゃ」

「次の一大企画までに日がないよ」

「今日も明日も明後日も打ち合わせだよ」

そんな忙しない現実には、僕は特には魅力を感じませんでした。

僕が欲しいのは、ギラギラしたステータスよりも“虹色ライフ”でしたから。

 

僕の戦略は、自分が思い描く人生を自由にデザインできる点に特化したやり方です。

収入よりどちらかと言うと、自由な時間の捻出を第一に掲げています。

つまり、レバレッジを効かせたり、自動化の仕組みを作り上げることだけに全力で取り組むわけです。

確かに稼げる桁はネオ●ルズ族のように、数十億円単位…とはいかないかもしれません。

でも僕の提唱する“虹色ライフ”には、自分の大切なものに忠実な人生を、思いきり謳歌できる開放的な自由があります。

時間、場所、収入の自由です。

この3つが備わってこそ、本当の精神的な自由が実感できると考えています。

僕にとっては、その方が遥かに幸せなのです。

自分と自分の大切な存在が幸せに暮らすには、そんな自由こそが僕の理想なのです。

 

risou

 

労働者として生きたがんじからめの過去

 

プロアスリートを引退し、いわゆるフリーター時代を経験した僕ですが、実に30社を超える様々な企業に在籍し、そこでは数多くの経験をしました。

楽しかった思い出も当然ありますが、社会の常識や仕組みを知れば知るほど、僕は絶対に自由な人生を築き上げようと誓ったものです。

現在では、急成長を遂げつつある伸び盛りの大手企業に在籍していた時の話です。

そこで見た社員たちは、みんな上からの評価ばかりを気にするようなイエスマンばかりでした。

そこに僕らアルバイトの人権は一切存在しませんでした。

僕は本当にいいように利用されました。

公表してしまえば、その企業の未来は潰えてしまうほどブラックなことです。

最終的に、勤務シフトを大幅に削られ、毎月の給料は4分の1ほどになり退職を決めました。

【参照】パワハラ撲滅!承認欲求を満たしてこその人望!リーダーよ、お聞きなされ!

 

また別の企業では

「悪い!忘れてた!アハハ…」

と、翌月の希望シフトを全部カットされていたりしたこともありました。

接客業に携わったある企業では、人間性を疑ってしまうような店長の元で働きました。

僅かでも来客が途絶えると、仕事を放棄し、店を僕らバイトに任せて、YouTubeを視聴しながら寝るような人なのです。

その上、理不尽な愚痴ばかりを言う人でした。

忙しくなると、途端に“キレ”スイッチが入り、スタッフに罵声を浴びせ、僕らは、彼のストレス発散材でしかありませんでした。

ただ…彼のお気に入りの女の子だけは、どんなヘマをしても、怒られるようなことはなく、むしろ慰められたりと…逆にその子の方がバツの悪そうな顔をしていましたが…。

 

さらに別の企業では、新人が入ってくるたびに新人イビリをするようなおばちゃんに閉口していました。

出勤して顔を合わせると、例外なくこのおばちゃんの舌打ちから一日が始まるのです。

さらに、まだ右も左も分からない新人スタッフを前にすると…

「邪魔だなあ」

「ぼーっと突っ立ってんじゃないよ」

なんて大きな独り言を、常にブツブツ言っているような人でした。

僕は、同じようなレベルの人間だと思われたくなかったので、完全無視を決め込んでいましたが、中には大喧嘩になるスタッフもいました。

 

さらに他にも…

社長絶対政権の企業もありました。

まるで乳幼児のワガママを聞いているような、無茶な要請ばかりしてくる社長でした。

彼は17時の定時退社時間になると同時に、毎日社長室の冷蔵庫に冷やされている缶ビールを飲むのが日課でした。

その場には、社長お気に入りの、太った痛風の社員2~3人が、いつも同席していました。

彼らが仕事をしている姿を一度も見たことがありません。

その職場では、社員のほとんどは、とにかく社長から気に入られようと必死でした。

一方で、そんな社員たちが陰で発する、社長に対するエゲツナイ愚痴は、日に日にエスカレートしていくばかりでした。

僕ら派遣スタッフは毎日のように、薄汚れた人間の裏社会の中に身を起き、ただただ自分達に被害が及ばないように神経を磨り減らしていました。

この職場は、勤務中に僕が思わぬ怪我を被ってしまったことが原因で

「お前みたいな注意力散漫な奴はクビだ!」

と、怪我の当日に社長から解雇を言い渡されました。

 

また別の企業では、僕より遥かに年下の社員が僕をコケにし、毎日のように理不尽な説教をしてきました。

ある日、危うく手を上げそうになったこともありましたが、そこは何とか堪え、その場で退職の旨を伝えました。

すると、彼は本当に同一人物なのが信じられないくらいに優しい言葉を次から次へと僕に投げ掛けてきました。

このように、労働者として生きていくことは、僕にとっては、地獄でしかなかったのです。

 

zigoku

 

もちろん、世の中こんな企業ばかりではないことくらい、百も承知です。

しかし、どんな素敵な企業に恵まれようと、そこに“虹色ライフ”は存在しません。

 

金の亡者にならないために僕は…

 

先日、実に小学生時代以来の友人と再会し、お酒を交わしました。

その友人は、昔から頭が良く、高校・大学と、いわゆる高偏差値の学歴をもち、誰もが知る某大手一流企業で働いています。

その席で彼は言いました。

 

「職場の雰囲気なんて、良いとか悪いとかさえも無いようなもの。みんな、ノルマノルマで追われた目してさ。出世するにしたって、どんだけ会社に貢献したところで、査定には一切関係ないからね。如何に上司の機嫌を取って気に入られるか、それが全てだよ。その為だけに俺らは毎日命かけてるからね」

 

社会というものを知れば知るほど、僕は現実を理解していきました。

 

genjitsu

 

個性の欠片もない汗の染み付いた定番のスーツを身にまとい…

犬のリードを彷彿させるネクタイを締め…

生きる時刻表ばりに決まった時間に出勤し…

芸を忠実にこなすチンパンジーの如く日々のルーチンワークをこなし…

チャイムと同時に昼食を食べ…

再び午後から始まる地獄に備えてあたふたと一服し…

また理不尽な環境で働きながら笑顔を忘れ…

帰宅後のビールだけを楽しみに、憔悴した顔の並ぶ電車に揺られて帰宅し…

翌日の地獄に備えて早々に床に就き…

そんな生活を年老いるまで繰り返す…。

 

生きるということはこういうことなんでしょうか?

 

これを定年退職する老後まで我慢して受け入れ、諦めて堪え忍べば、ご褒美にあの世へ旅立つ前の20年くらいは、ヨボヨボの自由は訪れるかもしれません。

しかし、こんな生き方が常識の日本では、僕のように

「一度きりの人生を生きたいように生きる」

なんて考えを持つ人間は、圧倒的なマイノリティです。

 

しかし、そんな環境下でも、たった1つだけ、僕ら少数派が大手を振って自由を謳歌する方法が存在するのです。

それは、会社に頼らず“自力”で生きる力を身に付けることです。

資本主義社会では自由な身分は自力で掴むことができます。

あなたが豊かに生きていけるだけの収入を自力で確保できれば、あなたの前から理不尽な支配者は消えます。

一切の束縛が消え失せるのです。

 

お金を追い求めることは、金の亡者になるわけではありません。

金の亡者であることを止めるために、お金を追い求めるのです。

金の亡者にならないよう、収入の自由を得る必要があるのです。

日本では、お金をいやらしいもの、薄汚れたもの…と見る節がありますが、そんな人の行動基準こそ

「金。金。金。」

ではないでしょうか?

「生活のためにもっと仕事しなきゃ!」

「ちぇっ、ボーナス減っちゃったよ!」

「なんだよ、給料全然上がんねぇじゃん!」

「やっぱ安定した仕事じゃなきゃね!」

「将来、年金ってホントに貰えんの?」

「昇給に向けて資格とらなきゃ!」

「貯金しないと将来が不安だよ!」

「今月、友人の結婚式で出費が痛いな!」

「こんな高いもん買えねぇよ!」

「ランチなんかに金かけたくないね!」

衣食住に始まり、趣味に到るまで…。

滅多に会えない友人との会食、大切な人へのプレゼント、結婚式、引いては、親族の葬式…。

その度に、財布と相談しなければならないなんて…。

家族、幸福、健康と引き換えにしてでも、仕事と貯金に励んでいる世の中の多くの人が、時間、場所、収入の自由を得た人間に対して

「金の亡者!」

「拝金主義者!」

なんて罵り叫んでいる様は、滑稽以外のなにものでもありません。

 

“虹色ライフ”こそが、あなたの生きる価値を高めてくれます

 

「記念日に家族や恋人を喜ばせたい!」

そう思ったら、最高の時間や最高のモノをプレゼントしたいですよね?

“虹色ライフ”であれば場所も時間も自由なので、長期の海外旅行だってプレゼントできます。

 

24時間365日、全部あなたのための時間です。

お金のことなんか頭に置かず、趣味に没頭して構いません。

逆に、お金を投じて、でっかい企画を成し遂げても構いません。

40歳や50歳になろうが、命尽きるまでバンド活動やっても構いません。

ひたすら絵だけを描き続けて、個展を開いても構いません。

演劇漬けの生活で、舞台に生きても構いません。

漫画家や小説家に、人生を見出しても構いません。

何歳になっていようが、専門学校や大学に通っても構いません。

毎日引きこもってゲームだけやっていても構いません。

お金で解決できるような、身体的コンプレックスでお悩みならば、とっとと解決してしまっても構わないのです。

 

もちろん、ライフスタイルも自由です。

眠い時に眠り、起きたい時に起き、食べたい時に食べて下さい。

ストレスフリーのライフスタイルで、かつ、体調が最高であるならば、そんな生活習慣が一番健康に決まっています。

南国リゾートに住んでも、東京のタワーマンションに住んでも、田舎暮しをしても構いません。

焼肉を食べに韓国行っても、ビールを飲みにベルギー行っても、ソーキそばを食べに沖縄に行っても構いません。

趣味が高じて、プライベート図書館を作っても、プライベートBarを作っても、プライベート映画館を作っても、プライベートスタジオを作っても構いません。

親友が本当にお金に困っていたら、何も言わずにポンと渡したって構いません。

世の中の多くの人が信じこむ常識や枠の中で生きていく必要なんて、1ミリもないのです。

他人に迷惑さえかけなければ、あなたは自由に生きて構わないのです。

 

この世には無限の選択肢があります。

そのためには、何よりもまず、あなたが自立する必要があります。

ご主人様に奉仕して、皿に餌を盛ってもらうのではなく、自ら野に出て食料を調達する術を身に付けなければいけません。

 

 

僕のメルマガでは、最初の実績作りのための、脱・初心者企画“リアル脱出ゲーム”への参加者を随時募集しています。

“リアル脱出ゲーム”への参加が、あなたの人生を大きな幸せに導く一つのきっかけになることは、僕にとって最高の喜びでもあります。

この実績を元に、ビジネスに発展させ“虹色ライフ”を手に入れたいのであれば、その術は僕が知っています!

まずあなたに必要なのは、何よりも実績です。

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著者プロフィール

沖縄を溺愛する元プロアスリート。

沖縄旅行でグルメ・観光・海水浴!10月終わりも遊泳期間の常夏を満喫♪

沖縄本島リゾート婚!結婚指輪&オープニングムービー制作の満足度は?


社会のしがらみ(人間関係)や、世の中の様々な束縛(お金・時間・場所)から解放されて生きる『虹色ライフ』を広めるべく活動中。


幼い頃から、人と同じことをするのが苦手で、「自分の人生は自分でデザインする」 という信念を貫いて生きる。

超未熟児で誕生し、年間の半分以上、保育園や学校を休むほど病弱で虚弱体質な少年時代を送る。

「前に習え」は、常に腰に手を当てて先頭に立つようなチビだった。

野球少年ながらも、気持ちに肉体がついていかない息子を見かねた両親のススメで、少林寺拳法を習い始め、自身の秘めたる才能に気付く。

当時の人生の目標は、高校生になって甲子園に出場すること。

…。

高校受験の時期。

周囲の大反対を押し切って、自ら隣県の高校に電話をかけ、願書を郵送で自宅に送ってもらい、甲子園常連校へ進学。

親元を離れ、寮生活となった高校時代は、まさに野球漬けの日々。

しかしながら、体育会系の理不尽な上下関係に苦しんだ挙句、2年生への進級を機に、理不尽な伝統を受け継ぐ先輩にはなりたくない一心で、夢を諦め退部。

生き甲斐のない毎日を送っていた、大学1年生の時、日本ボクシング界のカリスマ、辰吉丈一郎さんの生き様を目の当たりにし、ボクシングに挑戦することを決意。

ボクシングの世界観にハマり、程なく、本格的にプロを目指す。

嘘の通用しない世界で、文字通り裸一貫の自分で勝負したいとの思い、そして辰吉丈一郎という生き様に魅了されての決意だった。

就職活動をする周囲をよそに、信念を貫き通し、大学卒業後はプロボクサーとして約10年間の選手生活を送る。

引退後も、雇われて生きるという選択肢は自身になく、何かしらの事業をやることを考える。

そんな折、ネットビジネスの存在を知る。

知れば知るほど、このビジネスに大いなる可能性を感じ、多くの失敗を重ねながらも、徐々に結果を残せるようになっていく。

現在の信念は、この世に生きた証を残すこと。

世の中に多くの価値を提供することで、たくさんの「ありがとう」に囲まれて生きることこそが、唯一、自身の存在を証明できると方法だと信じている。



そんな僕の提唱する「虹色ライフ」の詳細は…


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