ネットビジネスが招いた家族崩壊の物語

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この度は、あなたの媒体によるページ拡散にご協力いただきましてありがとうございました。

今回は、そんな“あなた限定”の、特別なお話でございます。

あなたと僕の信頼関係も、毎日のメルマガを通して徐々に構築されてきたと思って(信じて)います。

そこで!思いきって!!

“知る人ぞ知る”僕のプライベートな情報をあなたに大告白します。

 

 

 

“てむ兄”の結婚から離婚まで

 

実は…。

僕は2010年8月に結婚をして、2014年11月に離婚をしているのです。

今回は、その経緯を赤裸々に語っていこうと思います。

思い出すと、今でも本当に辛く、僕の人生最大の過ちだったと、改めて反省して…反省して…反省し尽くすばかりです。

ネットビジネスに関する僕の認識不足が呼んだ悲劇とでもいいますか…。

あなたには絶対に同じような過ちを犯してほしくないという強い思いがあります。

そして、僕があなたにお伝えできる中では、“虹色ライフ”こそが、真の幸せを手に入れる唯一の手段でもあると信じています。

こういった背景を踏まえ、さらには僕から“あなたへ向けた強い思い”をご理解いただいた上で、この先を読み進めていただけたら幸いです。

 

出会い

 

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その女性との出会いは2003年4月のことでした。

この年、僕は所属ボクシングジムを移籍するために、九州から上京してきたのです。

上京してすぐに、あるきっかけで彼女と知り合ったのですが、当初は恋愛感情などは一切なく、友人の1人に過ぎませんでした。

そんな友人関係が続いていた、同年の夏辺りに、共通の友人から告げられて、彼女から好意を抱かれていることを知ったのです。

それからは、何となく僕も彼女のことを意識するようになり、練習が休みの日には、2人で遊ぶようになっていきました。

そうして、デートを重ね、この年の秋には、僕達は付き合い始めたのです。

彼女は、本当に僕のよき理解者で、ボクシング最優先の僕のライフスタイルに、愚痴1つ漏らすことなく、いつも優しく接してくれました。

週1日、練習が休みの日曜日、遊びに出掛けたいはずなのに、僕の体のことを気遣って、疲れている僕に対して、

「一緒にいれるだけで十分」

と、外出を我慢してくれるような女性でした。

試合が決まって、本格的な減量モードに突入すると、カロリーや栄養をしっかりと考えた食事メニューを毎日作ってくれました。

試合の日は、目を背けたくなるような場面でさえ、震えながらも、僕の勇姿をしっかりと見届けてくれました。

試合が終わると、勝っても負けても涙を流していました。

勝ったときは僕以上に喜び、負けたときは何も言わずに、傷が癒えるまで、そっとそばに寄り添っていてくれました。

また、打ちのめされて入院したときには、毎日のように看病に駆け付け、身の回りの世話を全てこなしてくれました。

この頃には、僕は彼女をずっと大切にして生きていこうと思うようになっていました。

 

結婚

 

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そして、僕は2010年6月の試合をもって、プロボクシング人生に幕を閉じ、直後の8月に彼女と入籍しました。

それまでの僕は、失うものがない人間が心身ともに最強だと思っていたのですが、守るべきものがある人間こそが、真の勇者だと悟りました。

ただ、結婚当初の僕は、ボクシングを引退したばかりでしたし、まだ次の人生も定まっていなかったため、フリーターとしてとにかく必死に働きました。

詳しいことはまた別の機会に言いますが、僕には、就職という選択肢は皆無で、自分で何かしらの事業をやろうと思っていたのです。

これまで支えてくれた妻のことだけは、不自由させたくない一心で、ダブルトワーク、さらには、トリプルワークとこなしながら、人生を模索しました。

休日もなく、365日ひたすらお金のために働きました。

それが妻に対する一番の恩返しだと考えていたからです。

当時は

「男はとにかく金を稼いでナンボ!」

だという拘りが僕の原動力でした。

お陰で、その辺の一般的なサラリーマンなんか、比にならないくらいのお給料を稼いでいたと思います。

そんなある時、ネットビジネスの存在を知ったのです。

パソコンなんて、ネットサーフィンやメールくらいでしか利用したことはなく、タッチタイピングなんてもっての他でしたが、このビジネスに大きな可能性を直感したのです。

「これで大きく稼げる!」

そんな浅はかな思いだけで、この世界に参入しました。

ネットビジネスを始めた当初は、上手なセールスレターに煽られ、それこそ

「自己投資だ!」

と、様々な教材を買い漁りました。

しかしながら、そうそう簡単にはいかず、なかなか結果の伴わない時期も経験しました。

それでも諦めずに挑み続けたところ、Google AdSense という広告で収益をあげる手法で、少しずつ結果を伴うようになっていったのです。

とは言っても、この手法は、ネット上に資産を築こうにも、仕組化が難しく、労働収益の範囲におけるビジネスでしかなかったのです。

ある程度、サイト運営期間を経ると、多少の不労収入は得られるのですが、手を休めると、簡単に前月より収益が下がってしまいます。

当時の僕のやり方では、ネットビジネスを通して“虹色ライフ”なんて、夢のまた夢でしかありませんでした。

トリプルワークに加え、労働収益型のネットビジネスですから、妻との時間なんて、ボクシングをやっていた頃以上に少なくなっていきました。

ボクシング引退後は、妻のことを最優先する…と誓ったはずなのに、蓋を開けてみれば、あの頃以上に自分本意な生き方になっていきました。

僕は…

「このビジネスを軌道に乗せて、事業化するまでの辛抱だ」

と、本当に浅はかな考えだけで頑張り続けていました。

今思い返せば、簡単に答えは分かるのですが、あの頃の僕のやり方では、収入こそ増やせど、自由な時間なんて、作り出せる筈がなかったのにです。

当時の僕の思い込みは、やってくるはずのない、単なる夢の世界に過ぎなかったのです。

ただただ、お金の為だけに働き

「これこそが僕たち夫婦が幸せになる、最良の選択だ」

といった、当時の僕の間違った思い込みのせいで、夫婦があるべき本来の姿は消え失せていきました。

外に出れば、年中無休のトリプルワーク、家に帰ってもネットビジネス。

当然、2人の間に会話は少なくなり、まともなコミュニケーションも、いつ日か消えていきました。

そして僕たち夫婦は、まさか思いもしていなかった時期を迎えてしまうことになったのです。

 

離婚

 

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あれほどお互いに想い合っていた僕たち夫婦でしたが、日に日に喧嘩が絶えなくなっていきました。

僕の過労を案じた妻は

「平凡で構わないから、とにかく家族が普通に生活できればいい」

と主張するようになりました。

愛があるからこその主張だったことは、今でこそ理解できますが、当時の僕はこの主張に対し、全く聞く耳を持ちませんでした。

自分のことで頭がいっぱいだった、僕の人間力もまた小さかったのです。

自分の中では、妻に対し

「もうすぐ自由になれるんだから、あと少しくらい辛抱してくれよ!」

そんな思いをぶつけつつ、来るはずもない自由を夢見て、妻の言動に対し、次第にストレスを抱えるようになっていきました。

このままでは、僕も妻も絶対にダメになる…。

この結婚は、間違っていたのかもしれない…。

何が正しいのか、分からない…。

その頃は、毎日のようにそんな思いが、堂々巡りするようになっていました。

そして僕たちは、幾度となく話し合いを重ねた結果、2014年11月に離婚をすることで合意しました。

当時の僕は

「こんなに思いの通じない相手だとは思わなかった…」

そう思い自分を正当化することで、自身のプライドを保っていた気がします。

しかし…

しばらく時を経て次第に冷静になってくると、離婚の原因は全て僕の間違った思い込みと、器の小ささにあったことに気付かされたのです。

…間違っていたのは僕でした。

情けない話ですが、「妻を失う」という、大きな大きな代償を負って、ようやく気付かされたのです。

最愛の妻との、大切な時間を犠牲にして得たものは…

独りよがりの…

ちっぽけで…

悲しい…

お金だけでした。

それは何とも情けない、僕のちっぽけな意地と間違ったプライドの結晶に過ぎなかったのです。

その結晶は、取り返しのつかない現実となって、高く高く僕の目の前に降り積もり、大きな後悔として立ちはだかったのです。

我に返った僕のショックは想像以上に大きく、あれほど、気を張りつめて頑張っていたトリプルワークをやめ、更にネットビジネスもやめてしまいました。

抜け殻になってしまい、何も手に付かない自分がいました。

街中がクリスマスやお正月モードで盛り上がる中、僕は1人、これまでに味わったことのない孤独を感じていました。

2015年の年明けは1人で迎え、何もやる気の起きないまま、ただただ時間だけが過ぎ去っていきました。

2月になり、3月になり…。

僕は、彼女にどれだけ嫌われてもいいから

「とにかく元気でいてほしい」

それだけを思っていました。

「たまには会って、近況報告をし合おう」

離婚の際に、そんなあてのない約束していたのを思い出し、一度だけ、彼女に連絡を取ったことがあります。

しかし、返事は

「もう会えない」

「二度と連絡してこないでほしい」

といったものでした。

以来、僕の心にはポッカリと大きな穴が開いたまま、虚無感だけに苛まれていきました。

 

祖父の他界

 

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そんな折の、2015年4月、僕の祖父が亡くなりました。

僕の幸せをいつも楽しみにしていた祖父に対し、僕は心から申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

しかし…

ようやく立ち直れそうなきっかけとなる気持ちの変化が起こったのも、この時だったのです。

祖父が亡くなったことで、九州の実家には、実に十数年ぶりに親族一同が会したのです。

気心の知れた従兄弟たちと、近況報告をしながら、本音で語り合う中で、叱咤激励を受け、徐々に僕の虚無感は薄れていきました。

僕のことを案じた祖父が、僕にくれた最後のプレゼントだったのだと信じずにはいられませんでした。

これを機に、後悔ばかりをしていても、何の解決にもならないことを、自身に言い聞かせました。

“後悔”ではなく“反省”をすることで、前向きに生きていく気力が、わずかではありますが、湧き起ってきました。

とにかく、ひたすらに反省をすることから始め、男としてあるべき姿を取り戻そうと、今後の生き方を考え始めました。

結婚当時の僕は、彼女を裏切る形になるほどに、労働収入型のネットビジネスに没頭してきました。

賛否両論あるかもしれませんが、だから故、僕はこの手法でもう一度ネットビジネスに挑戦し、必ず結果を出す必要があると思い直したのです。

そうしないと、僕に裏切られた形の彼女が浮かばれないと思ったからです。

もう二度と会うことのない彼女に対する、僕なりのけじめでもありました。

そして、再び、Google AdSense 広告を使ったサイト作りに挑戦を始めたのです。

離婚から半年間、仕事もネットビジネスもしてこなかった僕の口座には、最低限の生活もできないほどの預金残高しか残っていませんでした。

そこで、ギリギリの生活費だけを稼ぐために、細々とアルバイトをして生計を立てながら、毎日パソコンに向かって、キーボードを叩いたのです。

そしてその結果、1通目のメルマガで紹介しましたが、サイト構築開始から数ヵ月後、月収30万円超え達成を果たしたのです。

なんとか、1つの結果を残し、一部のけじめはつけたつもりでいます。

それでも、失うものは大きすぎました。

なので、この時の成果達成を機に、僕は労働収益型の手法に頼るネットビジネスをきっぱり捨て去り、心機一転ビジネスの本質を学び始めたのです。

この調子でサイトを構築していけば、近い将来には、月収50万円、80万円、100万円…と収益を伸ばしていくことは可能だったことでしょう。

しかし、この手法では、ちっぽけで悲しいお金以外には、僕の欲しいものは、何ひとつ手に入らなかったのです。

そればかりか大切な宝物を失ってしまいました。

だから僕はこの日、本末転倒のこの手法を捨て去ったのです。

 

“虹色ライフ”の構築

 

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そこで、気持ち新たに、全く違う分野におけるネットビジネスを習得するため、イチから猛勉強を始めました。

そして、1つの普遍的な型を完成させるに至ったのです。

それこそが、時間、場所、収入の自由を全て手に入れ、精神的な本当の自由を実感できる“虹色ライフ”ビジネスというわけです。

僕が“虹色ライフ”を提唱するのは、僕のメルマガ読者である、大切なあなたに、同じ過ちを犯してほしくないからです。

ローリスク&ハイリターンなネットビジネスは、その利益率の高さばかりがクローズアップされがちですが、しっかりと見定めないと、それは、あなたを不幸に陥れる可能性も十分に潜んでいます。

お金ばかりを追い求めた結果が、2014年11月の僕です。

「時間、場所、収入の自由」

これらが全て備わった時、初めて精神的なホンモノの自由が手に入り、本当の幸せを実感できるものだと、身に染みて感じています。

僕の大切なあなたには、ぜひ自分自身で人生をデザインできる自由を手に入れてほしいと、切に願っています。

それは、あなたの愛する家族や、あなたの周りの友人たちを幸せにすることにも繋がるのです。

せっかくこうして僕と深い信頼関係を築いてくださった、大切なあなたには、ぜひ幸せな人生を歩んでほしい、心からそう願っています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

そして、今後とも宜しくお願い致します。

 

あの時、僕に勇気をくれた曲

余談ですが…

離婚した当時、毎日のように聴いていた曲があります。

その曲には本当に勇気をもらいました。

いきものがかり『歩いていこう』

 

2018年12月31日 追記

 

あの離婚から約4年。

本日2018年12月31日、平成最後となる大晦日に、別の方と再婚いたしました。

あの時の教訓を胸に、夫婦共に虹色ライフを描きながら、世界一幸せな家庭を築いていきたいと思っています。

沖縄本島リゾート婚!結婚指輪&オープニングムービー制作の満足度は?

 

今後とも宜しくお願い致します。

著者プロフィール

沖縄を溺愛する元プロアスリート。

沖縄旅行でグルメ・観光・海水浴!10月終わりも遊泳期間の常夏を満喫♪

沖縄本島リゾート婚!結婚指輪&オープニングムービー制作の満足度は?


社会のしがらみ(人間関係)や、世の中の様々な束縛(お金・時間・場所)から解放されて生きる『虹色ライフ』を広めるべく活動中。


幼い頃から、人と同じことをするのが苦手で、「自分の人生は自分でデザインする」 という信念を貫いて生きる。

超未熟児で誕生し、年間の半分以上、保育園や学校を休むほど病弱で虚弱体質な少年時代を送る。

「前に習え」は、常に腰に手を当てて先頭に立つようなチビだった。

野球少年ながらも、気持ちに肉体がついていかない息子を見かねた両親のススメで、少林寺拳法を習い始め、自身の秘めたる才能に気付く。

当時の人生の目標は、高校生になって甲子園に出場すること。

…。

高校受験の時期。

周囲の大反対を押し切って、自ら隣県の高校に電話をかけ、願書を郵送で自宅に送ってもらい、甲子園常連校へ進学。

親元を離れ、寮生活となった高校時代は、まさに野球漬けの日々。

しかしながら、体育会系の理不尽な上下関係に苦しんだ挙句、2年生への進級を機に、理不尽な伝統を受け継ぐ先輩にはなりたくない一心で、夢を諦め退部。

生き甲斐のない毎日を送っていた、大学1年生の時、日本ボクシング界のカリスマ、辰吉丈一郎さんの生き様を目の当たりにし、ボクシングに挑戦することを決意。

ボクシングの世界観にハマり、程なく、本格的にプロを目指す。

嘘の通用しない世界で、文字通り裸一貫の自分で勝負したいとの思い、そして辰吉丈一郎という生き様に魅了されての決意だった。

就職活動をする周囲をよそに、信念を貫き通し、大学卒業後はプロボクサーとして約10年間の選手生活を送る。

引退後も、雇われて生きるという選択肢は自身になく、何かしらの事業をやることを考える。

そんな折、ネットビジネスの存在を知る。

知れば知るほど、このビジネスに大いなる可能性を感じ、多くの失敗を重ねながらも、徐々に結果を残せるようになっていく。

現在の信念は、この世に生きた証を残すこと。

世の中に多くの価値を提供することで、たくさんの「ありがとう」に囲まれて生きることこそが、唯一、自身の存在を証明できると方法だと信じている。



そんな僕の提唱する「虹色ライフ」の詳細は…


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